あの世ってのが本当にあって、守護霊ってのが本当にいるのなら、この世でも、もう少し感じ取れないと、おかしいんじゃないの。そんなのがまったく分かんないのに、地獄だとか天国だとか言われても、それじゃあ、神様がいじわるなだけなんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『復活の法』──未来を、この手に(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
ただ、私は、霊的な体験をしている数少ない人間の一人として、「分からないには分からないだけの理由がある」と、つくづく感じるのです。
現実に、霊たちの姿が見えたり、声が聞こえたり、霊たちのしていることや、彼らがこちらに働きかけていることが分かったりする状態で、この世の人間が地上の生活を全うすることは、極めて厳しいことなのです。「霊たちに見られている」ということが分からないようになっているので、この世の人間は、プライバシーを保つことができ、いろいろなことができるのです。それが、「ガラス掛りの状態で見られている」と思うと、たまったものではないでしょう。
テレビドラマなどで、警察の取調室に、「こちらからは見えないが、向こうからは見える」というミラーガラスが付いており、それを通して、本人に分からないように別室から観察している場面が出てきたりしますが、あの世とこの世の関係も、実は、そのようになっています。「あの世の霊人たちからは、この世を自由に見ることができるが、この世からは、あの世が見えない」というかたちになっているのです。
これを理不尽と見る考えもあるでしょうが、霊的な世界を実体験している立場からは、この世の生活においては、霊的なものが見えたり聞こえたりしないほうがよいと言えます。「異次元世界との交流をしながら、この世で生活する」ということは、かなり厳しいものがあり、生活に支障が出るでしょう。
ただ、そういう世界を忘れてしまってはいけないので、霊能者や預言者、宗教家など、例外として認められた一部の人が出て霊的な世界について説き、それを広げるのですが、大多数の人は、それを実際に体験することはありません。あるいは、人々が忘れ去らない程度に、ときどき、霊的な経験をさせるのですが、日ごろは霊的なものを感じないようにしてあるのです。
そういうシステムを守っていることが、よく分かります。
それはそうです。たとえば、「きょうのお昼ご飯は何を食べようか」と思ったら、「これにしなさい」という声が、あちこちから聞こえてきたりすると、普通の生活はしにくくなります。
また、何かをするたびに、いちいち、あの世から声が聞こえたり、あの世の人の姿が見えたりすると、この世の人間の主体性がなくなる面もあります。そのような環境下では、この世の人間として責任や自覚を持ち、主体的に判断しながら生きることは、かなり厳しいでしょう。
そういう両面を考慮して、このようなかたちになっているのです。
(286~289ページ)
あの世の霊人たちからは、この世を自由に見ることができるが、この世からは、あの世が見えないというかたちになっているのには理由がある。
現実に、霊の姿が見えたり声が聞こえながら、逆に、ガラス掛りの状態で見られていることが分かると、この世で地上生活を全うすることは極めて厳しい。
ただ、そういう世界を忘れないように、例外として認められた一部の人が霊的な世界について説いたり、人々が忘れ去らない程度にときどき霊的な経験をさせるシステムになっている──。
そういう仕組みになってるからこそ、ときどき夢などで、霊的世界を体験してみたりすることも大切なんだろうなと思います。
また、大川隆法先生のように、あの世のことを実体験し続けておられる宗教家の貴重なお教えを素直に学んでみることもまた、とても大切なことなのだと改めて私は思っているのです。
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『復活の法』──未来を、この手に 大川隆法著 |
