ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~

幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。

「政教分離」って?

政教分離」って、憲法上の原則なんだから、宗教は政治に口を出しちゃいけないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学大川隆法先生は、さかのぼれば『奇跡の法』──人類再生の原理幸福の科学出版)で、こう教えておられました。

 「宗教と政治のかかわりをどう考えるか」という問題について述べたいと思います。
 これはなかなか難しい問題です。「政治と宗教の関係はどうあるべきか。政教分離は正しいのか、正しくないのか」というような議論は、憲法論議と併せて、今後も続いていくだろうと思います。
 結論からいえば、過去の歴史を見るかぎり、宗教と政治の明確な分離は不可能だと思います。
 宗教というものは、仏の意志、あるいは神の意志という、超越したものからの、国民あるいは人類に対するメッセージをもとにしています。「人間よ、これにもとづいて生きていけ」ということなのです。そのなかには政治の原理と重なる部分があり、それを完全に分離することは、おそらく不可能だろうと思います。
 たとえば、ユダヤ教は建国の思想そのものと関係があり、政治の原理と一致している部分があります。
 キリスト教においてはどうでしょうか。イエスが生きていた当時のイスラエルは、ローマの植民地、属領であったので、政治的独立運動がかなり華やかでした。イエスをキリスト(救世主)、メシアとして仰いでいた人たちのなかにも、その中心に、そういう政治的独立運動をやっていた人たちがかなりいたのです。
 このように、イエスの運動そのものにも、政治的独立運動に近いものが背景にあったため、イエスが政治的指導者として充分な仕事ができなかったことに対する失望がそうとうありました。
 これが、キリスト教ユダヤ教が分かれていった理由です。ユダヤ教において救世主になるためには、政治的指導者としての成功がなければならないのです。メシアとは、「油を注がれたる者」ということであり、やはり一種の王様なのです。天意を表し、人民をまとめていく王様であるわけです。
 ところが、イエスはそこから離れて、心の世界、霊的世界のほうに入っていったために、ユダヤの正統なメシアとしては認められなかったのです。ただ、イエスが政治から離れていって心の世界を説いたことで、逆に普遍性が出て、その教えが民族を超えて広がったという面もあります。
 しかし、キリスト教においても、政治との分離はやはり難しいものがあり、イエスの時代や、それ以後の初期のキリスト教徒たちは、いわば非合法時代の共産党運動に近いものをやっていたのではないかと思われます。外からは、そのように見えます。
 また、釈尊はどうであったかというと、彼は政治的に中立の立場をとっていたようにも見えますが、もともとの出自が王子なので、政治との親和性はかなり持っていました。一定の権威を持って、国王に対して方向性を述べたり、「戦争をすべきでない」ということを述べたりしています。具体的な政治権力を求めたという史料はありませんが、政治に対して意見は述べており、国王をしのぐ権威を持っていました。
(138~141ページ)

過去の歴史に照らして見れば、宗教と政治の明確な分離は不可能である、ということがただちに判明する──。

考えてみると、もう一つの世界宗教であるイスラム教では、政教一致が当然とされているはずです。

また、アメリカ大統領は、大統領就任式で聖書に手をおいて宣誓するのは有名な話です。

そして、アメリカ大統領は、人によって多い少ないはあっても、その公式演説の中で神への祈りの言葉を語るのが普通のことだというのもまた、実は有名な話だと思います。

現職のトランプ大統領の演説では、その特徴が顕著であって、それを多数の国民が大歓迎していることが、けっこう報じられていると思います。

そして、2009年に大川隆法先生が創立された幸福実現党は、祭政一致を当然の政策としているわけですが、少なくともこういった世界の宗教事情を共通認識とした上で、「政教分離」の問題は議論される必要があるのだと、改めて確認できた気が私はしているのです。

奇跡の法

『奇跡の法』──人類再生の原理

 大川隆法

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