人を愛するのが喜びだなんて、信じられないな。やっぱり、人を愛するって、苦しいことだよね。それが素直な感情なんじゃないかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、書籍『ハウ・アバウト・ユー?』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
釈迦の言葉として遺っているもののなかには、現代から見ると不思議な教えがあります。
それは何かというと、「だから人を愛するなかれ」という教えです。
ここで言っている「愛」とは、私が教えている愛とはちょっと違っていて、「執着」という意味です。「愛執」といって、身内などの相手に対し、トリモチのように執着していく愛のことです。
例えば、親の、子供に対する執着があります。
今は一人っ子が多いということもあって、親が子供に執着して手放さず、トリモチのような愛で逃がさないようにして苦しみをつくることがよくあります。
子供のほうも苦しみますが、親は親で苦しみます。
あるいは、夫婦間にも、そのような愛が出てくることがあります。
それは、“縛る愛”とでも言うべきものです。
「愛」といっても、私が説いている「与える愛」ではなく、「縛る愛」というものもあるわけです。
人間は、本能的にいけば、縛る愛のほうが当然のような感じになります。やはり、好きになると、縛る愛になりやすいのです。
そのようなことは、目に見えない世界では実際に起きていることです。
霊的に見れば、死んでから不成仏霊になっている者のなかには、憎しみだけで憑依霊になっているわけではなくて、「愛しているがゆえに、家族や恋人、夫、妻、子供などに憑依して離れない」という霊が数多くいるのです。
「愛する者をつくるな」「執着するなかれ」という釈迦の教え、「『長男だから』とか『財産があるから』とかいったものに執着するなかれ」という教えは、それだけを見れば、非常に冷たいようにも見えます。
「どうして、そんな冷たい、反社会的な見方をするのだろう」と思う人もいることでしょう。
しかし、怪談ものの映画などを観ると、その意味がよく分かります。
釈迦の教えも、“幽霊になりたくなかったら”という言葉を上に付ければ、はっきりと意味が分かるのです。
「幽霊になりたくなかったら、
執着を捨てなさい。
死んだら、あっさりとあきらめよ。
この世のものに執着するなかれ。
この世の人に執着するなかれ。
愛する者でも、やがて必ず別れなければいけないのだ。
別れるときが必ず来るのだ。
それを知りなさい」
釈迦は、そのように言っているのです。
「会うは別れの始め」という言葉もあるとおり、「必ず別れなければいけなくなるのだ」ということです。
(23~31ページ)
釈迦の言葉として、「だから人を愛するなかれ」という教えが遺っている。
この「愛」とは、「執着」という意味であって、「与える愛」ではなく「縛る愛」のことである。
この釈迦の教えも、“幽霊になりたくなかったら”と上に付ければ、はっきりと意味が分かる。「幽霊になりたくなかったら、執着を捨てなさい」と──。
愛が苦しいと感じるときは、じつはいつの間にか、縛る愛、奪う愛こそが愛なんだと、本能のままに勘違いしていている。
でもそうではない。
本能のままの執着を捨てて、「与える愛」に生きることこそ、仏の御心にかなった愛の姿なのであり、真なる幸福への道である。
そう、大川隆法先生は教えて下さっていることが、改めて深く腑に落ちた気が私はしているのです。
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『ハウ・アバウト・ユー?』 大川隆法著 |
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