神さまや仏さまがいるんだったら、なんで生きてて、悩みだらけなんだろう。神仏は、人間の悩みをすぐになくして下さればいいのに。神仏にすがれば救われるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の科学原論①』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
とくに、宗教的真理を求めている人たちは、何かにすがれば救われるという考えを持ちやすいのです。いまだにそういう人があとを断たないわけですが、しかし考えてみるならば、何のためにこの世に生まれてきたのか、どうして生きているのかと考えてみると、救われるために生きているわけではないのです。ここを考え違いしがちです。
現在の苦しさから逃れたい一心で、救われるということのために生きているような錯覚に陥ることがありますが、そうではなくて、この世に生まれてくるということは、もっと積極的な意味があるのではないかと思われます。ひとつには己れの魂修行という目的であり、もうひとつはもっと大きなユートピアづくり、幸福感の増幅のために生きているのではないかということです。
このような観点から考えてみると、単に救われたいということだけで生きているということは、人間としては情けないことではないのか。自分の人生の悩みは何のためにあるのかよく考えてみよ。人それぞれ、その人に合った問題集が与えられているのではないかということです。
そういわれてみるとたしかにそのとおりで、その人にぴったりの問題集なのです。神様であるなら、本当はもう全部幸福にしてくれて、悩みもみんなとってくれるはずなのに、こんなに苦しいのはおかしいと考えがちですが、よくよく考えてみると、各人に固有の問題集があり、各人に悩みがあるということは、現にその人がどのような修行の課題を持っているかを明確に表わしているのです。その修行を卒業した人には、そういう問題集は与えられないわけですが、その間題をまだ卒業していない人には与えられます。
ですから、最大の悩みこそ最大のカルマであるといえます。「何でこんな不幸のなかにいるのだ」と思うかもしれませんが、そこにこそ、まさしく今世の意味もあるということです。今世、肉体を持った意味はまさしくそこにあり、そこに何らかの勉強の糧があるのだ、材料があるのだと教えられているのです。
(46~48ページ)
大川隆法先生が、「人生は一冊の問題集である」という大切な言葉の解説をされた部分を、今日は改めて、ご紹介してみました。
友だちの人生相談などに乗ったりしてみると、ああ、ほんとに各人の問題集は違うんだなあって思うことがあります。
だからこそ、人生の悩みには、前向きに立ち向かっていかなきゃって、勇気と希望がわいてくる。
そう私は思ったりするんですが、みなさんはどう思われますか?
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『幸福の科学原論①』 大川隆法著 |
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